鍵泥棒のメソッド感想

内田けんじ監督 「鍵泥棒のメソッド」を今観終わった。

一作目、二作目と共に張り巡らせた伏線とその回収というのは

どんな物語にでもあるのだけども、今作でそれは恋愛というものに焦点を当てていたものと思われる。

重々しい序盤から次第に軽快なコメディとかしていくのだけども

恋愛映画で最も大切な部分

何故その人に惹かれたのか が非常に丁寧に描かれていて

というかむしろその部分を描く為に他の要素がある感じで

非常によく練られた脚本だったと思う。


以下ネタバレ注意








タイトルにもある「鍵泥棒のメソッド」であるが、

序盤風呂屋で鍵を盗む時点で、ああこの事か と思わせ、

香川照之演じるコンドウが、入れ替わった人生である役者としてのメソッドを勉強し

逆に、元々役者であった堺雅人演じる桜井は

役者として演技メソッドの勉強不足をコンドウに指摘されたりと

鍵泥棒 と メソッド というキーワードが話の筋に重要に関わってくる。

で、映画最終盤においてこのまま終わるかと思いきや

広末涼子演ずる水島との再開のシーンに置いて、

今 まさに恋に落ちた瞬間の心のキューンに

自動車の防犯ブザーの音が重なる部分は、正に映画のクライマックスで

つまり、

恋泥棒なんてな言葉がある様に、誰しもが他人に心をオープンマインドでいられない現代において

人は常に心に鍵をしてあって、

恋に落ちる瞬間とは、正に心の防犯ブザーが鳴っている状態であり

その好きになった相手こそが鍵泥棒であって

そう考えるとなるほど、

逆説的に 恋に落ちるのに際してメソッドなんてなものはありゃしないんだぜ

それがつまり鍵泥棒のメソッドであると

そういう監督のメッセージが伝わってくる。

その防犯ブザーが鳴る理由が、香川照之の自損事故というのも

恋愛がいかに事故的であるかの隠喩となっている様で

それが自損事故っつうのは、何ともシニカル。

うむー

淡々と進む物語とは裏腹に、さすがに練られた脚本であるなあと納得。

素晴らしい作品でありました。