うたかた

柔らかいインド人を硬い石で殴ると死ぬが、

硬いインド人を柔らかい石で殴っても死ぬ。


石は人より大分硬いからである。


なんてな事を考えながら、日々過ごしていたところ。

思考は循環し徘徊し泡立っては消えていく。


人間の体って良く出来てるわぁ と言う人がおるが、

私はそうでも無いと思っている。

反射 というものがある。

私はよく器の縁ぎりぎり、並々一杯の汁物を運ぶが

そういった時反射という人間の本能は、ただのトリガーにしかならない。

夜中、暗闇の中カップラーメンを運ぶと

水平に保っていたはずのそれがいつの間にか傾き、汁が溢れるという事がある。

指に熱い汁が触れ、「あちっ」とやると

傾きは更に増し、より多くの汁が指と言わず手全体にかかるや

さらなる「だああっちぃーーーー」が押し寄せ

私の手は、カップラーメンを放棄。

電気をつけると、カップラーメンの死体とも言うべき

惨憺たる状況が目の前に現れ、

私は内心「反射・・・」と思うのである。


先日も、麻婆豆腐を作っている時

熱々に沸騰したスープに豆腐を投入する場面に差し掛かるや

恐怖が顔を出した。

熱々スープに手を近づける怖さで、限界まで近づけたつもりが

そうでもなかったらしく

盛大なおつりが返ってきた。

その跳ね返りで私は微妙に火傷したのであった。


こういった事で学ぶのは、

いわゆるメソッドと言われるものや教科書で学ぶものは、常識だとか一般的正解でしか無い事が多く

麻雀で言うなら確率論を学ぶようなものだということだ。

100回、1000回と回数を重ねれば

数字はあるべき場所に落ち着いていくが、

我々の限りある時間の中では、一般的正解には一般的正解だという価値しかない。


そんな事を最近の乙武炎上事件を見ながら思った。

今回、乙武氏の取った行動は

要点だけ見れば、

接客のなってない店員がいた、むかつくからツイッターで晒してやろう

という事にしかなっていない。

ニュースでは、店側が車椅子の入店拒否をした と報道していたが

それは誤った言い方だ。

店側は、入店の手伝いを拒否しただけであって

それは天と地ほどの違いがある言い方である。

氏の言い分も、

「車椅子ユーザーが嫌な思いをしない様に実名で呟いた」という事であるが、

それも前提条件である

事前連絡を怠ったという部分に関して、何の意味もなしていない。

店の名前を伏せた上で、

「車椅子ユーザーの人は事前に、自分が車椅子ユーザーであるとちゃんと伝えましょう」

とすれば、二次被害は防げるはずであって

結局、嫌な接客をされたから実名で晒してやった

という事にしかなっていない。


ビデオ屋で置き換えるなら、

電話で「レンタルDVDって取り扱ってますか?」と事前に連絡し

「取り扱っております」

「では後ほど来店いたします」となった後

「DVDのレンタルしてるつってたのに、何でアダムスファミリーが置いてないの?」

と文句をつけているようなもんだ。

それに対して店員は、

「申し訳ありませんが、アダムスファミリーの1はDVD化されてないんです。」

としか言えないし、それを

「アダムスファミリーが置いてないとか馬鹿にしてるっ!むかつく!」

と言われてもどうしようも無い訳で。

初めから

「アダムスファミリーってレンタルしてる?」と事前に確認していれば

そういった事態は防げたはずなのである。


接客が悪い店があって、それを実名で晒す事

それ自体は別に良いも悪いもない。

ただ、

フォロワーが何万人もいる人間がそれをした

という事実だけがある。

これは攻撃であって、戦争だ。


日本の左翼が言う戦争というイメージはもう既に古い。

中国、韓国は銃弾の無い領土侵略を仕掛けてきている。

アメリカはTPPでもって日本を更に弱体化させようと試みる。


新しい戦争の形はもう既に完成し、

経済戦争というクリーンな戦争の只中に私たちはいて

頭の上を数字とお金が飛び交う中、

視界の外では、一人二人とこの世界を脱落している。


そんな私も今、兵役につこうと戦地を探し

センチな気分で秒速5センチメートルを進むのでありました