ダフトパンクの新譜をはんなり聴いて思つた事

コード先行主義で今まで作曲してきた私にとって、

作曲におけるギターの限界といふものをつとに感じる。

というのも、基本的にギターにおける演奏は効率的な指の使い方をしないと

届かない 人間には無理 といった肉体的限界がある為で

これはつまり、ヴォイシングの限界といふべきものである。


簡単に説明しますと、

コードの特性として Cのコードと呼ばれるものは

ド ミ ソ と鳴っていたらそれ即ちCですよ といふもので

それが仮に ソミド でも ミソド でもCなのである。

で、JAZZで使われるコードなんかは実際演奏するのもややこしいもののオンパレードで

それは暗に、いかに私が普段簡単なコードで作曲しているかという事の証左であり

かといって、じゃあギター一本で新しくヴォイシングを追求するかっつうと

正直 ピアノでええやん というのもあり、頓挫。挫折。


で、今まで録音の際は

コードを面として捉え、別々のコードを同時に鳴らしながらベースで更にそれを不安定にさせる等して

工夫を凝らしてきたものの

ギターのコードの響きからそのままインスピレーションを得る事が難しい。

というのも、

そもそもコード進行の組み合わせ総数の限界というのがあって

確かに、マイルス・デイビスなんかを聴くと非常に凝ったヴォイシングであったりして

しかし、じゃあ変なコード進行かというと

色々紐解くと、結局は簡単なコード進行を複雑に聴かせる技が素晴らしいのだったりする。


ダフトパンクを聴いて思ったのは、

シックなんかのファンクとかディスコっつうのもそうだけど

むしろアヴァランチーズのエブリシングの流れなんじゃないかっつうので

要は、マーヴィン・ゲイのアイ・ウォント・ユーをいかに良い現代的な音で鳴らすか?っていう主題なんじゃないかと

そんな風に思ったのでした。

完全に歌もののシングルなんか聴くと、

いわゆる大衆的なこういった曲は、むしろロック・ポップス方面の人間がやるべき所だよなあ

なんてな塩梅で、しかしこのレベルで曲を構築出来るのは

日本だと最早、中田ヤスタカしかいねえのかと。

にんじゃりばんばん」は、「ナチュラルに恋して」に並ぶ名曲であると言っても良い気はするが

しかし、ナチュラル〜 にしても評価が固まるのはまだ先の事なんだろう。

というのも、パフュームのライバルと言えるのが

嵐とかAKBつう今の世の中じゃ、正当な評価もクソも無いようなもんだ。


中田ヤスタカさんも曲は良いけど、音が絶望的に退屈というか

楽家的に、勉強にならないというか

ダフトパンクだと、コンプレッサーだとかエフェクトの使い方の巧さもさることながら

実は、ハイハットのコントロールが滅茶苦茶巧かったりして

そういった意味で、耳が肥えた人が聴いて関心するものを

今回ちゃんと作って来たダフトパンクは、やっぱり僕らの世代のナイスガイです。

なんてな事を思ったけど退屈な日記ですいませんな

じぇじぇ