コード進行と宇宙の話
宇宙的と言われる音楽がある。
エレクトリック期のマイルス・デイヴィスをはじめ、P-FUNKやサン・ラー、ジミ・ヘンドリックス等がそうで
ある共通点がある。
聞いていて宇宙的だなあ と思う曲の多くは、コードが1つで演奏されている場合が多い事で
これはつまり、宇宙=無限の広がりと無意識に捉えているからではないだろうかと思った。
地球は自転しながら公転している為に、
太陽が出ては沈みを繰り返す。
その上で、春から夏になり秋になり冬になってまた春に戻ってくる。
そしてそのリズムは遺伝子レベルで刻まれているのではないだろうか。
1コード1発 という楽曲構造は、
和音という平面のレイヤーを重ねていくか、
そのコードの中で一本の線で足掻き藻掻くかしか有り得ない。
故に戻ってくるという感覚が決定的に欠如していて
それはどこまでも広がっていく印象を与える。
例えばマイルス・デイヴィスのこのアルバムなんかもそんな感じだ。
サン・ラー先生だと
どちらも素晴らしいアルバムでオススメです。
で、聴くとわかりますが1発ものの宿命として曲にメリハリを感じずダラダラしてるなあ
そんな印象を受けると思います。
そしてそれこそが宇宙なんじゃないかと思う訳です。
ただただ無意味に広がっていく
一分一秒を気にしながら生きる現代社会の時間軸とは相容れないだろう
この無駄に引き伸ばされた時間こそが本来の宇宙の時間の流れであって
そこにはポイントが無く、緩慢に複数の音が同居し漂っている
そういった全体としての表現が聴く人に宇宙やな という印象を与えるのかなと。
そういったある種の混沌に、こちら側からフォーカスしていって初めてポイントが浮かび上がる作りになっているという点で
マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやジーザス・アンド・メリー・チェインの様なノイズを含んだバンドによく言われる
スペイシー という言葉は実際その通りだなと思った次第でありまして
現代社会に疲れた皆様方もこれを期に
宇宙旅行をしませんか といったところで久々に音楽についてのお話でした。