理由を買い、その心意気を買う

今週のお題「2012年に買って良かったもの」

いやあ参加してねえな 経済。

そんなここ3年余り、今年買って良かったものは煙草でした。

この世から煙草を1本でも無くす為体に悪いのを承知で1本、そしてまた1本と着実にこの世から煙草を無くしていく日々。

私が煙草を1箱買う事で、誰かにその1箱が行き渡らない。

お金持ちになると何でも買う事が出来ますし、いちいち値段も見ずにポンポン籠に放り込んでいくので

間違えてひんしゅくを買ったりもしますが、

逆に貧乏が行き過ぎると何でも売りに出していって、結句

恩を売る、喧嘩を売る、友達を売る なんてな事になりますな。

煙草はそんな心にゆとりの無い時にいつでも寄り添ってくれます。

ぷかーっと煙を吐く時、心のモヤモヤも一緒に空に消えていく

そんな事は実際無くて、

肺が黒くなり、喉が痛くなり、頭が少しぽーっとします。

今煙草は文字通り煙たがられ、酒を飲む若者も減っているようですが

年中素面でいるには人生は苦味に溢れています。


煙草は私に、煙草を吸っている状態というものをもたらしてくれます。

例えば外で人を待つ際、

椅子に座っている ぼーっとしている

そんな宙ぶらりんな状態を煙草を吸っているという行為によって着地させるのです。

今何してたの?そんな質問に対して

椅子に座っていた ぼーっとしていたと答えるのでは相手をバカにしている感じがするのに対して

煙草を吸っていた と答えるのは非情に座りが良い訳です。

勿論、小説を読むだとか携帯をいじるというのでも良い訳ですが

一息つきたいだとか、休憩したい場合能動的には動きたくありません。

また、自分に煙草を吸っているという属性を加える事で

その場にいるというただそれだけの理由で生じがちな疑問

この人何でここにいるの?

この人誰かの知り合い?

この人何してんの? そういった疑問を

煙草を吸ってる人 そう周囲に定義し、風景に自然と溶け込む事が可能な訳です。

これは煙草は物であり、吸うという行為を伴うからであって

これが飴を食べていたや、ガムを噛んでいたではこうはならず

その場合、飴を舐めながら立っている人 ガムを噛みながらそこにいる人となり、

つまり煙草を吸うというのは立派な能動的な行為とされているのが分かるかと思います。

であるにも関わらず、煙草を吸いながら小説を読んでいた場合などは

小説を読んでいた で全てが了解される様にその行為の重要度はさほどでは無いのがあって

故にいつでも煙草は他の行為と共存出来ます。


煙草は、行為を定義してくれるという点で非情に心地よいもので

自分がそこにいる理由になったり、困っている人、泣いている人、待っている人

そういった状態を煙草を吸っている人に置き換える力があり

それが煙草の魅力にもなっていると思うのです。