ダウンタウンについて
ごっつええ感じが終わってから15年。
つまり、現在20歳くらいの若者はリアルタイム世代では無い事になる。
私が初めてダウンタウンをテレビで目にする前、私のヒーローは志村けんであった。
全員集合、ごきげんテレビ、バカ殿 そのどれもが私の成長の側にあった。
私が若干周りと足並みが揃わなくなるのは、小学5年生あたりの頃で
この頃から、姉の影響で吉本印天然素材に夢中になりだす。
テレビでは、生でダラダラいかせて(とんねるず)が始まり好んで視聴した。
そんな中、偶然ダウンタウンのガキの使いを見て私は衝撃を受けた。
志村けんのお笑いには、解釈の余地が無い。つまり、見たら見たまま面白い。
しかしダウンタウンの笑いは、受け手に解釈の余地がたくさんある。
これが私の中で革命的であった。
よく松本人志は、「頭の中で絵を描け」と言う。
それはつまり、受動的にただテレビを鑑賞するという行為から能動的にテレビを観るという事への変化であり、進化であった。
私の世代では、そうした意識改革は松本人志によって成されたけれど
これが1世代上の人であるなら、ビートたけしなのだと思う。
ガキの使いでのフリートークは、ただ二人だけでアドリブで喋るというのがもの凄く新鮮に感じられたし
話すという技術に特化して構成されたそれは、アスリート的なストイックさを感じさせた。
ごっつええ感じでは、コント毎に笑いの手法が違っていた。
出落ちに特化したゴレンジャイ
ノリ突っ込みに特化したMr. BATER
一言ネタの板尾課長
小物ネタの香川さん
気狂い憑依芸のキャシー塚本
と挙げればきりが無いけども、これらを観ると自然にお笑いとは何なのか?という教育がされてしまうという点で
どれもが優れた娯楽でありながら、一つの資料でもあった。
一人ごっつでは、
フリップボードを使っての一人大喜利を見せるがこれはバカリズムに受け継がれたと思うし、
写真で一言は、人気サイトの「BOKETE」に継承された。
IPPONグランプリ自体、複数人で一人ごっつをやっている番組と言える。
HEYHEYHEYでは、テロップで強調する事で笑いが増幅するという手法の発明があったり、ミュージシャンという人種の面白さの発掘があった。
それから松本人志の集大成的作品と言っていいビジュアルバムという作品が発表される。
それ以降でダウンタウンが創りだした本当に面白かった作品は、
すべらない話のゴールデンになる前と24時間鬼ごっこと、廃旅館と、いくつかのガキの使いでの企画だけである。
あんなに面白い芸人がいるのに詰まらない奇跡の番組リンカーン
初期は本当に面白かったダウンタウンDXも今では見るも無残な有様で
まともなレギュラー番組は、ガキの使いしか無い現状である。
それすら、私は裏番組の日曜芸人を見る方が多くなってしまった。
しかし、私の中には厳然としてダウンタウンという存在は強くある。
最前線から降りてしまった感は拭えないし、映画も北野武の様にはいかなかった。
それでも、IPPONグランプリの最後にリンカーンという自分の番組に毒を吐いた彼を見ると
本気のお笑いを死ぬ前に見せて欲しいなと期待してしまう。
あとごっつええ感じのコントが革新的に新しかったのは、
メタ的な視点 だったと思う。
コントを役者として演じながら、それをメタ的な視点で茶化す台無しにするというのは、痛快でありタブー的であった。
名作「ウンババ」には、モンティ・パイソンの「ホーリー・グレイル」と共通する馬鹿馬鹿しさがあった。
そしてそのメタ的な視点が悪い意味で出たのが、「大日本人」ラストなのだと思う。
メタの扱い方次第では、ウディ・アレンの様な映画監督にもなれる可能性もあるとは思うけれど
松本人志がリンカーンを辞めた時、やっと彼の第二のお笑い人生が始まるのかもしれない。
始まらないかもしれない。