久々の録音で考えた事

録音するにあたって一番重要なのが、曲と詞を用意する事でございます。

良い曲と良い詞が出来た場合、ある程度適当な録音をしても曲の良さは損なわれません。

というのがすげえ珈琲に似ているなと思いました。というか、世の中の全般に渡る事に言えるのかもしれません。

先日私のバンドのドラムがこっちに来た際話したのですが、

彼はある時からいきなり珈琲に傾倒しだしていて、それが今情熱が薄れていると申していました。

何故か?というと、珈琲屋さんの扱う品質の良い豆というのは

スペシャリティーコーヒーという名前で呼ばれるISOとかの規格のような一定の品質保証がなされているものであって

結局、どこの珈琲屋も豆にいくらこだわった所で同じ豆になってしまうのだと。

で、珈琲の味の9割が豆の質で決まり後は、焙煎やピッキング(ダメ豆の排除)や淹れ方で多少変わる程度だそうです。

録音に関しても同様で、

どんなに凝ったギミックや、良い音で録音されたものであっても

曲がダメだったり詞がダメだったりすると、何の価値もありません。

そういう意味で、録音はどれだけ原曲の持つ魅力を損なわずに行うか?というものであり

その為、作詞作曲には入念に力を注ぐ訳でございます。

なので私が録音作業に入ったという事は、良い曲が出来たよという意味であり

録音したけど、いまいちだった

なんてな場合は、基本的にはアレンジをしくじった と言える訳ですが、

物を作る人には誰にでもある勘違いというものがあって、

良い曲だと思っていたものが、そんなに良くなかった

なんてな事もままあります。

どないやねん

私もそう思います。

そこで、アレンジについての話ですが

アレンジというのはジャンルという基本フォーマットの上で、その曲にあったなんやかんやをする作業なのですが

これはもう一つの作曲と言える程に難しい。

私の録音は、まずリズムマシーンでドラムパターンを決定する事から始まり

次いでコード楽器(ピアノ、ギター)を入れて仮歌を入れます。

ドラムパターンは1曲で、基本15パターン程度 約1時間程で出来ますが

ピアノでのコードを録音する場合は、まずピアノの練習から始まってさらにそれを覚えるのも必要になるので、2時間から3時間かかります。

で適当に歌を入れてベースの録音に入りますが、

ベースの場合は、とりあえず10パターン程の基本パターンを弾いてみた上で、

さらにそこから音のバリエーションと休符の位置の把握をし、

で、自分で考えたベースラインが難しいので結局練習したり、指が痛くなってきて休憩したり

ベースについてのブログでベース巧いアピールをし過ぎたなあと後悔してみたり、

ポール・マッカートニーならどう弾くだろうか?とか

たくさんの有名ベーシストになったつもりで弾いてみたりと延々試行錯誤を繰り返していきます。

今回は、タワー・オブ・パワーロッコ・プレスティアという人の影響が強く出た気がしますが

どうせダメだろうなと思いながらも、シドヴィシャスな感じで弾いてみたりも致しました。

大体ベースの録音には8時間位かかりました。

そしてこの後から、録音の地獄は始まります。

音楽を聴く際私は、教科書として音楽を聴いている訳ですが

今までの私の音楽人生がここで出る訳です。

引き出し という言葉がありますが、アレンジの巧さは引き出しの多さに依存します。

なので常日頃からいかにたくさんの音楽を聴いているかがここで全て出てしまう訳です。

では、その引き出しはどういう風に自分の中に溜めていくかというと

言語化

これに尽きます。

聴いた音楽を言語として自分の中に抽象化して残しておく

これをする事で確実に引き出しは増えていきます。

例えばどういう事かというと、

この曲で言うなら、


メインのメロディーの裏を取るアコースティックギター

ギターと鉄琴を左右に配置

終わり部分の間に入る下降メロディーの溜息の様なコーラス

こういった具合に要素を抽出しておくと、いざ自分の曲の録音となった時に

試行錯誤の助けとなります。

抽象化しておくというのが非常に重要であり、

固有のメロディーで自分の中に蓄積したとしても、いざそれを使ったら即パクリ野郎のうんこたれの烙印を押されてしまいますので

あくまで、要素として自分の中に留めておくのが肝要でございます。

そしてそういったものの組み合わせの中で、

最も汎用性の高いアレンジが、様式となってジャンルとして定着していく訳です。

良く頭の中で音が全部鳴っていて、悩まずに出来ましたなんてな事を言うアホがいますが

頭の中で完結出来る程度のものに真に刺激的なものは無いはずで、

先人がやった事をベースにしつつ、

先人がやらなかった事にも挑戦して初めて楽曲が持つ可能性を全て引き出せるんや

と私は考えていますが、ある一定の世界観の中に楽曲を閉じ込めないと

どこを聴かせたかったんや? という焦点を見失いがちになります。

ファンクをやりたくて作ったのに、ラップをしてみたら

ただのレッチリになった

こういう事もありますし、

Aメロが思い浮かばないのでラップにしてみたら

オレンジレンジになった

こういう事故も起きます。

結局のところ、創作で最も大事なのは抑制だと大人の私は思いますが、

高校の頃の私がそれを聞いたら

日和ったな とか、丸くなったなとか

ハゲたなとかだせえなとか言うんでしょう。

それを成長と呼ぶんだよ とぶん殴ってやりたいと思います。