自問自答

俺たちゃ怠惰だ

水は低い方へ低い方へと流れる。

よし和平だ平等だなんつって、それぞれが好きな事をして良しとなったらば

ほとんどの人間がポテトチップス食いながらテレビを見る毎日に成り果てるのさ

ってな事を町田康の本で読んだ事がある。

なるほどと思った。

よく中学高校自分、本当に自分がやりたい事とは何か?なんてな事を考え

家業の土建屋はやりたくねえな 音楽に全てを捧げたいな

そんな事を考えていたものです。

サラリーマンが一念発起、明日からラーメン屋だ

そういう事もあるでしょう。

大家族の父が一念発起、明日から島で暮らそう

そういう事もあるでしょう。

最近考えるのは、

もうプロ音楽家の道というのは従来通りでは成り立たないのだなという事。

先日登山について書きましたが、

今こそ本物や本質そういったものが求められているのではないでしょうか。

では本物とは何か?

本物は何によって担保されるのか?

それは村上隆が言う、自分の内なる声に誠実に耳を傾ける事がまず必要ではないでしょうか。

自分に噓をつかない

簡単なようでとてもむずかしいです。

芸術家は何を動機として作品を作るのか?

富や名声 そういったものを求める事は二次的なものであって

そこの奥深くに作らなければならないという使命感や、作らないではいられない何か?

それが無ければ何の意味も無いのだ

そんな風に今は考えています。

何かに迎合したのでは、自分の内なる声を裏切る事になる。

しかし、自分の心の声を聞いてみると

良い曲を書きたい 褒められたい 認められたい

そんな陳腐な声が大きい。

そこから更に耳を澄ますこと7ヶ月。

ようやく自分の作りたい曲が見えてきました。

私はどうやら、歩くという行為に興味があるようです。

私の音楽をお聞きになって頂ければ分かると思いますが、

歩いている時に見た景色、歩きながら感じる季節

そういう所に私は普遍性を見出しているようです。

部屋というものは、その人を体現していますから

どうしても人それぞれの環境が違ってしまう。

部屋の外なら、全ての人と繋がっているだろう

そんな風に私は無意識に考えたのかもしれません。

今現在書いている曲も歩くという行為が伴っている歌詞で、

自分が今までしてきた癖だとか傾向を良く良く観察する事で、

自分が根っこの部分で何をしたいのか?

それを見つけられたのかもしれません。

もしお暇なら聞いて欲しいのですが http://soundcloud.com/girlgirlgirl/track-1

何年か前に作ったこの曲は、部屋から外に飛び出す描写がありまして

私は散々に頭を悩ませました。

外に出るという気持ちの移り変わりをどうにか行動で描写出来ないものか

自分にはまだ書きたいものがあるようです。

それを発見出来たのがとてもうれしかったです。

季節は冬を迎えようとしていますね