珈琲と私

ついに我が家に待望のハンドミルがやってきた。

正直に言うと、ハンドミルを買って貰った。

もっと正直に言うと、頼み込んでハンドミルを買って頂いた。

ちなみにハンドミルってのは、豆を手動で挽く道具ね。

やっぱり挽きたての豆で入れた珈琲は旨いですからね。

で、ここで問題が一つ浮上してきた。

いつ豆を挽くのだ?という問題である。

今まで私はお湯を沸かす時に食器を洗ったり、シャドーボクシングをしたり斜め懸垂をしていた。

その時間が豆を挽くという工程が増えた事により、豆を挽く時間に置き換わった。

我々は小学生の頃より、家に帰るまでが遠足だよと教育されてきた訳であるが、

私にとっても、お湯を沸かす時から珈琲は始まっているのだよとなってしまった。

そこで優しい皆さんは、主夫の唯一の運動時間であるお湯の沸き待ちという時間が失われた事に対して

運動不足になってはいやしないか?

メタボリックなシンドロームの懸念があるのではないか?

これから先良いパンチが打てなくなるのではないか?

そういった心配をされただろうと思う。

しかし心配には及ばない。

手動で豆を挽くのは結構疲れる。

結構疲れるという事は筋肉に乳酸が溜まっている証拠である。

つまり豆を挽くという行為は軽い運動なのであって、

むしろ今まではシャドーボクシングだとかの非生産的な行為で時間を潰していたものが

軽い運動をこなしながらに、豆を挽けてかつ旨い珈琲が飲めるという最強の布陣となったのである。


こんな風にハンドミル一つで生活は激変するのであるけど、

それもひとえに私が珈琲を愛し、珈琲に愛されているからではないだろうか。

私の好きな言葉に、映画「かもめ食堂」の中のセリフで

「人に淹れて貰った珈琲が一番旨いのよ」 というのがあって、

一昨日までは、そのままの意味でこの言葉を捉えていました。

しかし、この言葉の真意とは

誰かと一緒にいる時に飲む珈琲が一番旨い という事じゃないかと気づきました。

つまり、そこにコミュニケーションがあるならばどんな珈琲もおいしい

そんな風に解釈する事が出来るんじゃないかと。

深い。そして渋い。さらに苦い。

言葉のフレンチロースト。

一つ大人になった気がしました。

ちなみに、この言葉をドラムの松野君に教えてあげたところ

「いや、自分で淹れた珈琲が一番旨い」

と言っていました。