打ち上げ花火、斜め下あたりから見るか、大体下と言っても過言ではない位のとこから見るか

先ほど 花火を観てきた所です。

前々から思っていましたが、花火って大体花火大会ってな名前で催される事が主で

大会つって、誰が勝ったのか負けたのかも分からないそんな大会あるかよと

アナーキストの私は思っていたわけですが

花火師と我々鑑賞者の対決なんじゃないかと今日は思いました。

そして、その予選として

私 VS 虫 とか

私 VS 人混み とか

たこ焼き VS お好み焼き とか

男子 VS 女子 等の細かな戦いがあります。

今日は、ハートの花火が4発打ち上がったのですが、

そのどれもが逆向きのハートで、若い男女のカップルには不吉な暗示だったのではないかと思いますが

ハートと考えるから不吉に思えるだけで、

逆さになった源氏パイだった と考えると不思議と不吉には感じなくなると思います。

私たちが花火師に勝つという事はあまりありませんが、

今日は、いやに低空での爆発があって事故かと思いましたし

ハートの件も含めると勝負はイーブンという所です。

あと花火を観て毎回思うのは、

煙ですね。

雲一つないきれいに晴れた空でしたが、

終わる頃には人工の雲で空は覆われてしまいました。

花火は、連続して数発打ち上げて少し時間が空いてまた打ち出されますが

あれは煙が去るのを待っている時間にもなっているのかもしれません。

連続して打ち上げても後半になるにつれ煙が邪魔をしていって

綺麗な円形に見えなくなっていくんだなあと思いました。

それを解消する為か、

高度を下げた花火と高高度での花火があって、

そういった工夫も観ていて楽しかったです。

また、一連の流れの最後には大概 余韻の長い花火で締めるというのも

良いなあと思いました。

ただ、残念だったのは

空に一瞬で消えていく光があるのとは対照的に

鑑賞者の一部の人は延々携帯で撮影していたりして何だかなあと思いました。


勿論、病気で病院を出られない人の為に撮影してお土産にするんだ 等の理由があるなら別ですが

そんなもん撮っても何の意味も無い事は承知の事実だと思います。

技術的に参考にしたいとか、資料作りや後世に紡ぐ記録作成以外の目的での撮影は

何というか非常に見苦しいものがあると思います。

本質とは別のところに意味があるものはたくさんあって、

それを本質のみ抽出したつもりで良い気持ちになって

別の大切な事を葬り去るというのでは本末転倒であって、

例えば 墓参りなんかがそうですが、

今では インターネットの中にお墓があったりする時代ですが、

長い距離を時間をかけて帰省し、家族と会い墓に参るというのは

その時間の中で何を思い何を考えるかが大事であって、

インターネッツの中に墓があるおかげで移動時間も無くストレスフリーやねん というのは

全くもって馬鹿げているのと同様です。

携帯で撮影するような人は、家でYOUTUBEで花火でも見てればよろし

そんな事を一瞬考えるも

空に消えていった花火の美しさの前では

語る言葉も語る題材もありませんでした。

ただただ、美しいものに見とれて


PS, 怪我人がいないことを祈って