閃きについての考察

最近、AIがこのまま進化を続けても最終的に人間の閃きをトレースする事は無理なんじゃないか?

といったコメントを読んで、閃きとは何か?について考えた。

以後 二三日思考した私の考えである。


私は以前から、

「閃きは思い出す事に似ている」

と感じていて、音楽を作る際の閃きが起こる瞬間の不思議について考えてきた。

それまでは、脳の中に無作為に入れた情報があるトリガーを持ってクラッシュし

そこにその時の思考のベクトルが意味付けを上手に行った時に閃きは生まれるものだと思っていた。

具体的に言うと、


1,曲を書こうと思っている状態(一つのベクトルを持った思考の連続)

2,1週間ビートルズを聴く(情報のインプット)

3,8日目にクラフトワークを聴いた(トリガー)

4,歌ものでディスコの曲をやろう(閃き)

この様な手順を踏んで漸く人は閃いていくのだと思っていた。

なので、私は寝るときには必ずヘッドフォンで音楽のインプットをしてきたし

トリガーとなり得るものとして日々新しい音楽や映画、小説と出会う様に生きてきた。

それは私が常に新しい音楽を作りたいというベクトルを持って生きてきたからである。


しかし、最近閃きというものを考えていると

閃きを阻害する因子の存在も気にかかるようになってきた。

閃きとは常識を越えた新しい考えであるのだからして、

その敵は常に自分の常識であるという事から

自分の中から常識というリミッターを意図して外していけたなら

より閃きというものを自分のコントロール下に置く事が可能なのではないか?と考えたからである。


そこで、ニュートン万有引力を発見した際の思考をトレースしてみる事にした。


1,なんか適当なすげぇ発見ねぇかなあ(ベクトル)

2,木からリンゴが落ちる(トリガー)

3,これは地球がリンゴを引っ張ったんじゃね?(閃き)


こう書き出すとニュートンは正に天才、さすがや!となりそうだが

私にはこれはどうも発想が飛躍し過ぎていると感じた。


むしろ、ただボーっと外を見ていたのではないかと推察する。

そこで彼はきっと視界の隅で何かが動くのを感じたのではないか?

その時の思考はきっとこうだ

1,視界の隅で何かが動く

2,落ちているリンゴを見る

3,リンゴが動いたのかと理解する

4,物が動く為には、自分で動くか他から力が加わったかしなければならない

5,リンゴは自ら動かないから、空から下に力が加わったか下から引っ張られたのだろう

6,地球がリンゴを引っ張った???


この様に彼の思考は進んでいったのではないだろうか?

ここでいう常識のリミッターは、「落ちる」という単語であって

それは動くという状態のより限定的な状態を表す言葉である。

子供であるなら、リンゴが下に動いた と表現してもおかしくない状況も

言葉という知識、知恵が閃きの邪魔をしている訳だ。


また、最も重要なのは

リンゴが落ちるのは地球が引っ張る所為だ というのが本来の閃きではなく

何故リンゴは下に落ちるのだろう?という疑問こそが純粋な閃きであるという点であって

要するに、

答えを探す事は閃きではなく

問題を作り出す事こそが閃きの本質であって、

考え続ける事が一番大事なんだね

と極々普通の意見に軟着陸。。

無念