音楽の意図についてのはなし
音楽の聴き方についての話です。
良い音楽、悪い音楽様々ありますが良い悪いを決めるのは何か?
わたしは作者の意図であると思っています。
極論するなら、良い音楽は良い音楽を作ろうという意図の元作られます。
では、悪い音楽は悪い音楽を作ろうという意図の元作られているのか?と思われるでしょうが
ある意味ではそうであり、ある意味ではそうではないのですね。
そこで次に重要になるのが、その意図に対して結果的に成功だったかどうかの判断です。
良い音楽を作る意図で悪い音楽が出来てしまった場合、それは失敗です。
しかし、
悪い音楽を作ろうという意図で悪い音楽が出来た場合、それは成功です。
では、意図をどの様に読み解くかと言えば
何故その音が鳴る必要があるのか? の、
何故の部分にその答えがあります。
理由無く鳴る音はありません。
そこには必ず意図があります。
そして、その意図にはまた様々なものがあります。
それから、意図に対しては成果として必ずある効果が求められます。
その効果はある機能を生み出します。
そしてそれが機能的である場合、初めて良い音楽と呼べるものになる訳です。
つまり、
良い音楽は必ず機能的であると言い換える事が出来ます。
例えば、ダンスというジャンルであるならそれは踊れなければ良いものとは言えません。
何故なら、それはディスコやクラブで鳴らされるのを意図して作られたものだからです。
例えば、パンクというジャンルであるならシンプルである必要があります。
何故なら、初期衝動こそがパンクの一番求めるものでそれを表現する為には頭でいろいろ考えたものでは初期の衝動が薄れるからです。
この様にジャンルによってまず求められる効果が違い、それによって機能も変わってきます。
一般的に耳が良いと言われる人は、適切にその意図を汲めその成否の判断が出来る人であると言えます。
フランク・ザッパやサンラーやボアダムスやフリージャズ等の難解とされる音楽について、
何を意図して作られたのか?
何故この音である必要があるのか?
それを理解する事が出来たなら、この世に難解な音楽は無いという事が理解出来ると思います。
私が最も愛する音楽に、
ビーチボーイズの「ペットサウンズ」
マイルス・デイヴィスの「カインド・オブ・ブルー」がありますが
これについて、全く良くないとか普通なんてな意見を2ちゃんねる等のインターネッツで見ますと
すごく残念な気持ちになります。
そういった人たちはたぶん意図を汲めてないから、自分には分からないという事だと思います。
ペットサウンズにはパンクのシンプルさも無ければ、踊れる要素もほとんどありませんし、キャッチーなフックもあまりありません。
それは、そういったものを意図して作ってないからです。
それらをペット・サウンズに求めても意味がありません。
まず、ベースラインがコードのルートを外している事に注目してみましょう。
これによって、安定しない感じに曲がなります。
それは浮遊感とでも言えそうな、ふわふわした落ち着かない気分にさせます。
ベースがルートだけを取ると、コードに強度と安定感が増すのは当然ですが
それを外す事によってある雰囲気を作り出しているのです。
それが意図です。 そして、効果は曖昧な雰囲気になります。
このアルバムの曲をギターで弾いても絶対にあの雰囲気は出ませんし、すごく歌のメロディーが取りづらいのですが
それはベースがいかにこのアルバムで重要な役割をしているかという証左です。
また転調をたくさんするのも、そういった不安定さを醸す効果があります。
当時転調を駆使した曲や分数コードと呼ばれるベース音指定のコードは一般的では無く
まず自作の曲を自演するというのもほとんどありませんでした。
そういった時代背景からも、いかに意欲的に作曲に取り組んだかが分かります。
他にもたくさん言いたい事はありますが、
私はペットサウンズの事だけで丸3日書き続けられる様な人間ですので、もう止めときます。
では、「カインド・オブ・ブルー」の意図と効果と機能ですが
このアルバムは日本盤で買うと解説が付いてきますので、それを読めば簡単に意図が分かります。
- アーティスト: マイルス・デイビス,ポール・チェンバース,ウィントン・ケリー,ジミー・コブ
- 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
- 発売日: 2005/07/20
- メディア: CD
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1曲目「ソー・ホワット」に一番顕著に見られますが
このアルバムはモード奏法という方法で演奏されています。
モード奏法だから偉いという事では全くありませんし、それ程特殊な演奏法でも無いのですが
問題は意図です。
何故モード奏法で演奏する必要があったのか?これが大切で
モード奏法という演奏法は、ある楽曲に対して常々変わるコードに対して
一つの音階でアプローチするというやり方で
それまでの演奏法では、コード毎に対してアプローチを変えていたので
頻繁にコードが変わる場合だと、特にジャズではあえて頻繁にコードを変えていきますので
頭の中は、常にコード進行を追っていながらそれに対するアプローチも変える必要がありました。
メロディーというのは1本の線であるのに、それがコードに物凄く束縛されるんですね。
なので、アドリブを取る時にメロディーが置いてきぼりになっていた訳です。
それをモード奏法で演奏した場合、あるのは常に一つの音階なので
かなり自由度があがるんですね。
しかし当然欠点があります。
一つの音階で演奏する為に今度はコード進行が束縛されるからです。
つまり和音を担当するピアニストに莫大な負担がかかるんですね。
コードというのは弾いた途端に束縛を生み出すものだからです。
例えば、Cというコードでは
C E G という音から出来ていて、この音から外れると違和感が生じます。
そこでソー・ホワットという曲では
C E G F Bb という5音も使うコードを使う事で、その違和感を減少させています。
そしてこの曲は、2つの音階と2つのコードだけでできていて
8小節同じコードが続く様な状態になってしまいます。
しかし、ジャズの特徴である4ビートのランニングベースを維持しなければ
それはほとんどファンクの様になってしまい、それはジャズの範疇から外れてしまいます。
そこで、コードを微妙に変えつつ空間を大きく取ったりして
コードが擬似的に進行している様に演出し、ベースもそれに合わせて
擬似的にコードが進行している様にしています。
そういった犠牲の上にソロイストは自由を獲得しているのです。
そしてそれは今までに無かった様な、アドリブであるのに非常にメロディアスなジャズというものを創りだした訳です。
まあ意図を探るとはこういった感じです。
ちなみに、具体的にある曲を取り出し解説するのは好きなので、
もし万が一、この曲の解説しろや というコメントがあればそれについて解説させて頂きます。
コメントしやがれこの野郎 とは思っていませんが、ページビューだけがこのブログのモチベーションになっております。
頑張ります。
音楽なんて興味ないやという人に少しでも
ある意図に対して機能的である事、
意図を理解する事の重要さが少しでも伝わったなら幸いです。