背筋ピーンは何故背筋ピーンに見えるのかの考察

まずは下の図をご覧下さい。

私がこのピーンの発注を受けたと仮定した場合、この様なピーンの表現をするだろうか?という疑問がまずあった。

ピーンという語感から、もっとそそり立つ情念を屹立させるべきだと思うのである。

そこでピーンで画像をググッてみた所、あるではないか?

これこそが、私のイメージするピーンである。しっくりきた。

では、Googleで画像検索して簡単に見つかる程度の情報を彼らが知らなかったのだろうか。

私はそうは思わない。

当然会議ではどの様なピーンが最適であるかを精査したはずである。

私のイメージするピーンでは、普通過ぎるとか実験精神が無いという理由で却下されたのかもしれない。

では、何故あの形になったのかを考えたい。

私は薄めで画像を見てみた。

そうしてみると、刮目していた場合と比べてディテールが曖昧になった反面

輪郭がより鮮明に記号化されて見えてきた。

始めは逆のY字だと認識していたが、よくよく見ると

 という字に私には見えた。

成程と思った。つまりこうである。

予てから我々は「人という字は、人と人が支えあって出来ている」と教育を受けてきた。

助け合いの精神こそが人の道だよ という教えである。

しかし、私を含めた多くのPUNKS

片一方が一方的に支えられているのであって、支え合いでは無いじゃないかと声を荒らげた事もあり現在2つの解釈が存在している。

それに対して、このピーンの格好は一人で「人」という文字になっている。

つまり、

「君たち幼稚園児は今まで人に支えられてきた。これからは、人に頼らず一人で生きていくんだよ」

と言っているのである。

私は思った。

小学1年生にそれは過酷じゃないか?と。

勿論子供がいろいろな経験を積んで自立していく事、これは子育ての最終目標であろう。

しかし、小学1年生に対して自立しろでは育児放棄と言っても過言ではあるまい。

いや、むしろ育児放棄宣言なのであるかもしれない。

ランドセルは買ってやった。背筋をピーンとして一人で生きなさい

そういうメッセージなのかもしれない。

とここで思ったが、ピンという言葉には 一つという意味がある。

やはり一人で生きていけというメッセージが暗に込められているのではないだろうか。


そんな訳ねえだろ そう思った人もいるかもしれない。

では、陰謀論としてこれを紐解くのではなく身体力学としてみるとどうなるだろうか。


人というのは気おつけの姿勢を維持するのが大変である。であるからこそ、休めの姿勢が生まれたのである。

逆に言うと、休めの姿勢こそが自然体と言える。

休めの姿勢と、例の逆Y字の姿勢は非常に共通する点が多く異なる点と言えば

手を挙げるか 挙げないか? である。

これはつまり、

授業中たくさん挙手しなさい というメッセージであろう。

ここには、授業中挙手しまくりの目立ちたがり屋の糞野郎という視点は無い。

挙手=正義 の価値観である。

しかし、よくよく画像を見てみると 挙げた右手は完全に耳に接着している様子が分かる。

これでは右耳は使用不可能と言ってよく、実質使える耳は左耳だけである。

これはつまり、

右翼教育には耳を傾けるな 左翼こそ正義 というメッセージであり、

しかしそういったメッセージを伝えるにしては曖昧過ぎるという指摘もあるだろうが、

テロップで左翼は正義と画面に入れてしまうと、折角ランドセルのCMであるのに

共産党のCMなのか社民党のCMなのか分かりづらいというデメリットが発生する上に

それを見た上で結局ランドセルのCMだったという落胆は、逆に左翼のイメージを悪くする恐れもある訳で

以上の理由から、直接的表現は避けた可能性があると指摘出来る。


別の角度でみてみると、

売りである背筋ピーンであるが、手を挙げる事や足を開く事に対して

非常に曖昧な動作であると言え、

また仮りに猫背から背筋ピーンへの動作があったとしても、猫背の程度問題が発生する事が考えられる。

当然背筋ピーンを効果的に伝える為に、若干盛り気味で猫背をする事になるだろうが

テレビは現在 やらせ・過剰な演出に対して敏感であり

ちょっとでも猫背が過ぎると

「そんな奴いねぇわ」とか「猫よりも猫背だわ」とか「背筋ピーンじゃねぇよ」

と言ったツッコミ、クレームがBPOにいくのは自明の理であり

そういった点に配慮して、猫背からの動作が却下になったと考えられる。

つまり、猫背という下の状態を作ってピーンを際立たせる手法の廃棄である。

そこで、逆に考えて

ピーンの誇張として挙手をしたのでは無いか?と推察出来る。

あの挙手はつまり、背骨を表しているのである。

つまりはこうだ。

「現在背骨の状態はご覧になれませんが、代わりに手で背骨を表現した場合この様な状態になります」

というメッセージである。

そういう風に見てみると、最早挙手無しでは背筋がピーンとしているかどうかも分からない気がしてくるし

つまり挙手こそがこの表現の背骨であると、

そして子供の歴史は始まったばかり。>今これからバックボーンを作っていくんだよ

という声にならない声までも聞こえてくる様であり

あの姿勢には、深い意味やメッセージがあり

そしてそれはこれからランドセルを背負う子供達に向けられたものだと見る事ができるし

出来れば私が子供なら、このランドセルが汚れるのは嫌だなあと思います。