橋下徹論

昨日は朝まで朝まで生テレビを見た。

(この記事には笑いのエッセンスが皆無の極めて政治的な文章を、それはつまり極めて退屈な文章である可能性が高いものを書きましたので、これから読む人は読んだ後に、
あいつはツマラナイ奴だ とか

あいつは変わってしまった とか

PUNKは死んだ とか

そういうのはあんまり人には言わない様にお願いします。)


そこで何故他の論者は橋下氏に議論で勝てないかの考察をしたいと思う。

が普通に考察すると橋下氏の提灯記事に成り下がる恐れがあるので、どうやったら勝てるのかを探し出したい。

昨日の議論(議論にさえなっていないという意見は置いておいて)を最後まで見て思った事として、

反橋下派と圧倒的に差がある重要な点が露呈したと思う。

それは、今までの行政の過去を彼はきちんと総括している点であると感じた。

つまり、彼のスタート地点として

今までの政治は失敗だったよね というスタンスである。

で、何故これが重要な意味を持ってくるかというと

彼は、今までのやり方は失敗だったから違うやり方でやってみるよ と言ってるのであるからし

否定派という立場でいる為には、

1,現状維持が望ましい

2,橋下氏のやり方は間違っている

この2つのどちらかでなければおかしいという事になるからである。

1の現状維持が良いという意見は、ちょっと大阪の財政を見れば素人でも駄目だろうと思うレベルの意見で

必然的に否定派は2のスタンスを取らざるを得ない事になる。

そこで、否定派はいろいろな細かい点を指摘してここは間違っていると批判する訳だけども

ここで次に重要な点になるのが

大阪の事を誰よりも考えているのが橋下氏であるという点だ。

知事職での実践経験徹底した現場主義で得た知識も重要ではあるが

そこで実際に見た現場の悪い点をこれから改善しようとしているのだからし

前提の知識からして反橋下派は分が悪い。

それから、彼の政策上の特色として

権力の分散・譲渡でここで巧いと思うのは、

彼はあくまで、システムが間違っていたのだからシステムを変えるよ と言っていて

例えば区長を公選にするよ という政策であっても、実際に区長を選ぶのは市民であって

これはつまり、未来の決定を我々の手でする決定を今するよ という事で

成功も失敗も責任は市民が負う事になるよ という事である。

故に、「失敗したらどうするの?」的な批判は的外れにされてしまう。また、ここで

最初に挙げた今までの政治は失敗だったよ が効いてきて、

今までのやり方で失敗したんだから、やり方変えるしかないよ という理屈になるのである。

そこで、彼が必ず言う言葉

「対案があるなら聞かせて下さいよ」のお出ましである。

再三繰り返されるこの言葉は、恫喝的でも高圧的でも無くて

彼は本当に良いアイディアがあったら聞かせて欲しいのだと思う。

知事を3年以上経験し、これじゃ駄目だという現実を目にして

どうやったら変えられるか? を何度も何度もいろいろな人と話し合ってきたのだろう。

それでもどこかに目から鱗のアイディアが眠っているかもしれない。

それに対して彼はいつでも誰でも平等に聞く耳を持っているのである。

では、ここで素晴らしい対案を出したなら橋下氏に議論で打ち勝てるか?というと

それはエスでもあり、ノーでもある。

彼は素晴らしい画期的案を聞いたなら、成程と頷き その案をいろいろな角度から検証し

元々の自分の案を廃棄してそれをするだろう。

つまり、彼にとっての勝利ラインが反橋下派と大きく違うのである。

彼は自分のアイディアを押し通したいとは全く思ってなくて、

日本を、大阪をより良くすること これを勝利だと思っているはずである。

しかし反橋下派は、目先の論破に必死で揚げ足を取る事や感情論でしかものを言っていない。

ネット等での意見を見てみると、反橋下派が揃いも揃って無能だという意見も散見するが

橋下氏を打ち負かしたいのであれば、

彼よりも優れた対案を持って議論に望み、そのやり方は間違っている と言うしかないのである。

では、他に橋下氏のやり方以外で有効な方法はあるのか?という問題であるが、

それを難しくしているのが、先程述べた

知事職での徹底した現場主義である。

まず現場を知る事がそもそも難しい上に、それに対しての徹底した議論も必須であり

知識経験の面でどうしても彼に後塵を拝してしまう。

そもそもが、現場で見た不満点の解消をする為の改革である。

現場を知らなければ何も始まらないのである。

つまり、

反橋下派として彼に議論で勝つ為には自分も政治家となって自治体を運営するか?

もしくは、多大なお金と時間を費やして現場を見て意見を聞いて回るか?しかない事になる。

それを今からした所で、何年先の話になるだろうか?


まとめると、

橋下氏に勝ちたいのであれば橋下氏になるしかない という事であり

それはつまり、良い橋下か?悪い橋下か?という事であって

それならば、良い橋下であるように応援しようぜ というのが最善のスタンスではないだろうか?

反橋下派でいる事が目的化されてしまう程に彼を否定的に見る事が難しいと思う。


では彼に議論で勝つ方法は無いのだろうか?

答えは、無い である。

彼は勝つ為に議論を重ねているのではなく、より良い対案を求めて議論をしているのであって

彼に議論で勝つという事は、彼に政治で勝つということであって、

そんな有能な政治家が今いるのなら、たぶんその人はもう橋下氏と共に道を歩いているだろうし


有能でなければ橋下氏には勝てないのに対して、
有能な人は橋下氏と対立するのではなく
手を組む事を考えるだろう
から

よって、有能な反橋下派は存在出来ず無能な者ばかりが反橋下派という現状から考えても

彼が今後議論で誰かに負ける事はないだろう。

将来は偉人として教科書に載っても全く不思議では無いと思うが、

結局提灯記事になってしまったし、笑える要素も皆無なので残念だなあと思いました。

ちなみに、朝生で後半 彼のイデオロギーを問うという場面があったが

あれをやり過ごしたのは彼の政治上の巧さだと思った。

その前に、共産党員とやりあっていた場面があって

そこで田原が共産党と橋下は似ていると指摘した所で、彼は苦笑いしていたが

それが最後にオチとして機能したと思う。

つまり、橋下と共産党の差がイデオロギーの有無でしかないという点がそこで私には見えたのである。

イデオロギーを表明した時点で、それはシングルイシューになるという事であり

つまり現在彼を応援している者の中には右も左もいるはずであるが

そこで、右か左が明らかになってしまったら

それはつまり応援者に右か左を問うのと同じなのである。

それをして応援者を失っているのが共産党であり、

そいつらとは違うんだぜ という意思表明をしたのが橋下氏であったと。

逆を言うならば、共産党共産党と言う理由だけで嫌われているという事で

それを暗に示したのが、後半の見所であったと思う。