ブログを頻繁に更新する事の気恥ずかしさをどうにかする方法の考察

このブログの上の方にある記事一覧を自分でクリックしてみて驚いた。

一日に2度、多い時は3度も更新している日がある。

これでは、あぁこの人は暇なんだなぁ 可哀想な人だ。と思われるので、

どうしたら可哀想な人のレッテルを貼られないかを考えてみたい。


また、私は温故知新という言葉を知っているので先人に倣ってまず

聞いた所ではしょこたんのブログは更新頻度が高いというので、

しょこたん☆ぶろぐ 更新頻度 で検索してみた

約 105,000 件 ヒットして、その一番上にあるサイトにいくと

彼女は>>一日あたり約18回更新している<<らしい。

ホッとした。

私より暇な人がいたのである。

しかし、更新頻度の高さを言及される事はあっても彼女が暇人だとか可哀想な人といった揶揄をされないのは何でだろうか?

それはやはり、彼女の仕事が可視化されているからだろうと思う。

むしろ、忙しい中毎日更新して偉いとさえ言われているのかもしれない。

出来れば私もそう思われたい

でなければ、両親に申し訳が立たないしご近所さんにもあまり良い顔をされないだろう。


ではどの様にして忙しさを演出出来るかを考えてみたい。

忙しい人と聞いて私はまず、いつでも携帯電話で何らかの取引・商談をしているというイメージをした。

だけども、問題は私には携帯がない…

あぁこんな時、井上陽水ならどうしたであろうか?

傘の無い陽水はどう対処したのだったか。

うろ覚えの歌詞では何のヒントにもならないものだ。

陽水よ、あなたはコンビニで傘をパクったのかい?

携帯の無い私はどうしたら良いのだろう。陽水が当てにならないので、私は逆にこう考えた。

もしも携帯があったなら。

あぁこんな場合、西田敏行ならどうしたであろうか?

もしもピアノが弾けたなら西田は何をしたかったのだろうか?

どうしてこうも、サビの一部しか覚えてないんだろう。

携帯に関しては諦めようと思った。

私は颯爽と温故知新をしたいのに、先人が全く道を示してくれないのであれば

携帯を使っての忙しさの演出は全滅と考えて良いだろう。

何しろ携帯を持っていないのだから。

では、他に忙しいと言えば何があるだろうか?

私は、びっしり字で埋まったスケジュール表を思い浮かべた。

しかし、私にはスケジュール表がない。

というか、そもそもスケジュールがほとんど無い

これでは駄目だ。

スケジュールが無い=暇人とされてもおかしく無い時代である。

私だって、仕事もあるし仕事以外の時間もある。

仕事以外の時間だって、虚無という訳ではないだろうし

例え虚無的にプライベートを過ごしていても、私はちゃんとスケジュール表に

虚無 と大きく太く書き記したいと思う。


1月26日 (木) 家 虚無


何も恥ずかしい事じゃない。人には人それぞれの過ごし方があるだろう。

となると、ヒルなプライベートはそれはもうしょうがないものとして

仕事部分の拡張をはかれないものだろうか。

仕事を余りしていない感

つまりNEETを感じさせなければ、多くの人は

仕事の合間を縫って何とか頑張っています

古傷が痛む中右クリックしていますと、

むしろリハビリとしてブログを始めました

そんな風に思ってくれるだろう。

しかし、更新をすればする程こいつ暇なんじゃね?感は出てしまうし

第一仕事が忙しい人がこんなにも無意味で、無駄にボリューム感のあるブログを書くだろうか?

私は書かないと思います。

では何故しょこたんは忙しい中こんなにも更新出来るのだろうか。

そこで私は気づいた。

しょこたんのブログは仕事の一貫として存在しているのだと。

仕事としてブログを更新しているのであれば、いくら頑張ってもそれは暇人という事にはならない。

それは仕事熱心な人なのである。

何というマジックだろう。ほとんど神の仕業である。

私もそれに倣いたいと思う。

しかし、私はこのブログで一銭も得ていない。

これを仕事と言うのは、いくらなんでも語弊が過ぎるだろう。

藤原紀香安達祐実平原綾香の歌詞を悪く言うのは信念を持ってやっているからいいが

いくら私でも良心というのはある。

じゃあ何なんだ?と問われたら

んー 

ゴッホだね。 ゴッホでいいや。

ゴッホも結局絵が売れなかった訳で、それでも絵を書いてた訳で

ともさかりえの顎

これは自分にとっての ひまわり であると。もうそれでいいと


という訳で、私にとってこのブログは作品という事になりました。

耳を切り落とすその日まで、

今後も作品作りに勤しみたいと思います。