カツラは体制か反体制か

禿げる。人は残念ながら禿げ上がる

止まない雨が無い様に、禿げない頭も無いのである。

そこで取る選択肢として、カツラ通称ヅラがある。

何も選択しないという選択、いわゆるオーガニックな状態

頭髪のロハスというのもあるが

そこには、常人には到底はかり知れない覚悟が必要だろう。

ハゲと謗られ、石を投げられ家を燃やされ

激しい火事ですね、まぶしいですねとありとあらゆる迫害・差別に苦しんでいく。

カツラを被った人を誰が責められるだろうか。

しかし、

カツラはあくまでも仮の姿。賃貸物件なのである。

ばれなきゃいい

そういう意見もあるだろう。飲酒運転美容整形脱税カツラ

全部が全部ばれなきゃいいんだ

果たしてそうだろうか?

犯罪と整形とカツラを並列に並べる事に無理はないか?

否。

本質的にはそれらは全部等しい。

後ろめたい という共通点においてだ。

ばれなかったというのは、つまり

隠したのと同じ意味である。

ばれなくても、それはやはり後ろめたいものなのである。

カツラはどうだろうか?

カツラはハゲを隠しているが、違法行為ではない。

では、何故ハゲを隠すのだろうか?

ハゲというものは、それ自体がマイナスの状態ではないはずだ。

ハゲというのはあくまでもある状態であって、

月が丸いとか、うさぎが白いのと同様のはずである。

ハゲが何故バカにされるのかについて考えねばなるまい。

私は、これを見立てによるものだと解釈する。

人間には成長過程において2度の反抗期が存在する。

1度目は親に、2度目は大人や社会に対してのものだろう。

そして、この過程において

大人は信じられない、大人は汚い、大人はずるい

ある者は盗んだバイクで走り出し

ある者は支配からの卒業を企てる。


では、大人にハゲの者はいなかったか?

私の記憶では、小中高教頭はハゲだった様に思う。

教頭はハゲ これはもはや定説でありほとんど常識の範疇であった。

大人は全てであり、周りの友達や同級生だけが同士であった。

同士の中にハゲている者は一人もおらず、

ハゲは敵の中にしかいない。

ここから、ハゲ=敵という刷り込みがあって

大人になった今もそれを抜け出せないのではないだろうか。

では逆に、ハゲ視点から見てみるとどうなるのか。

毛というものは、上に上にと伸びる。

それはもうイカロスばりに、天に向かっていく。

しかしカツラというものは、

頭の上に載っている、もしくは載せている状態である。

地球には重力がある為に

毛↑ であるのに対し、

カツラ↓ という風に荷重がかかるだろう。

これは押さえつけであり、抑圧である。

カツラの支配と言っても良いだろう。

また、現在ではアタッチメントが発達している様だが

カツラという形式、性質上

というエレメントに対しての防衛が軟弱であり

それは最早、地球との戦いである。

では結論を言うと、

若者の敵はハゲであり、ハゲの敵はカツラであり、カツラの敵は地球であると。

当分、世界から戦争は無くならないだろう。