藤原紀香に見る昭和感の考察

まずこちらをご覧頂きたい。

いかがだろう。 初期のレオパレス動画は、黒歴史の為か既に削除済みだったが

しかし、それでも感じるだろう。そこはかとない昭和感を。

そしてその昭和は、バブル末期の頃の昭和ではなかったか?

そう、藤原紀香こそバブルの正統後継者だったのである。

では誰からその座を譲り受けたのか?

それは、当然 飯島直子である。

飯島直子、字面だけでもバブルの香りがする。

そして、彼女を思い出す時我々は

中山秀征松本明子も同時に思い出している事にお気づきであろうか?

また中山秀征を思い出す時、何故か《業界》という言葉も思い出しているだろう。

では、藤原紀香の何が我々にバブルを感じさせるのか?

それを私は「ゴージャス感」という言葉で紐解く事が出来ると思う。

そしてそれは実態としてのゴージャス感ではなく、

何というか古き良き、我々が失ってしまった形而上的ゴージャス感とでも言うべき

そういうほとんど蜃気楼の様に朦朧としたゴージャス感

それを私は彼女から感じているし

彼女も私にそう感じて欲しいのだと思う

そのゴージャス感をあれこれ理由をつけて述べるのは非常に難しいが

音楽番組で時折見せたダンスは、非常にバブリーだったと思う。

それは何故だか私にディスコの風景を見させてくれた。


ここまでをまとめると、

私達は藤原紀香バブル感を感じ、その原因はゴージャス感にあるといえると結論を出す事が出来るだろう。

しかし、何故だろう? 安く見えるのは気のせいだろうか?

バブルと言えば、高級感であり

ゴージャスの意味は、華やか贅沢な様とあるのにだ。

たぶんその理由は、実態との乖離にあるのではないかと推測する。

本当にゴージャスならレオパレスのCMには出ない事も我々は知っていて

バブルが弾けた事も知っている。

ボンドガールを熱望するのも、本当にその器であるなら向こうから話が来るだろう。

ゴージャスな人は、お笑い芸人と結婚しないだろう。

あの関西弁は、何なんだ?

テレビではゴージャスという扱いを受ける彼女であるが、

そのゴージャスという概念がそもそも昭和止まりなのである。

そこを私達は敏感に感じ取って、

昭和くせえ、バブルくせえとバカにしているのが今の藤原紀香なのだろうと思う。