不良文化についての考察

80年代にそのスタイルを確固たるものにしたヤンキー

何故、21世紀にもなって未だこのスタイルに支持があるのか?

これに惹かれてしまう心の闇とはいかなるものか?

それを紐解く事は、日本の未来を考える事と同義であって

ひいては、あなたの子供の将来を考える事でもある。


まず、不良とは何か?これについて明らかにしなければなるまい。

不良とは、良い子ではない子と字で書く事から分かるように

悪い子では無く

あくまで、良くは無い子

良というカテゴリーから弾かれたアウトローというだけの意味に過ぎない。

しかし、シンナー煙草万引きだと

明らかに悪い事をする不良もあって、それはもう不良じゃなくて悪の手先じゃないか?という意見もあるだろう。

しかし、彼らは始めからその様な悪事に手を染めていたのだろうか?

彼らは、不良と呼ばれたその時から不良になるのである。

始めは些細な事だったろう。

人のハサミを借りて、ちょっと返すのを忘れただけだったかもしれない。

それなのに、あいつは人のハサミを取ったと言われ

泥棒泥棒と罵られ、悪魔だ、河童だ、天狗だと恐れられ

俺は不良じゃねえよ!

という心の叫びは無常にも教師には届かずに、

お前らが不良と言うなら、そうなんだろう。

お前らはいつでも正しい良い子ちゃんだもんな

だったら、不良になってやるよ!

不良の誕生である。

しかし、ここではまだ完全な不良になったとは言えなく

あくまで仮免状態である。

手始めに彼は、あらゆるものに反抗していく事で

不良という地位を確固たるものにしていくと決める。

宿題をやらない授業中に寝るこれはどちらもビギナーと言われる人達がする事である。

これは、先生という権力に抗う事で良い子ではないよという意思表示をし

自分の居場所を確保しようとしているのである。

何故そうするかというと、良い子では無いという状態が居心地が悪い為だ。

良い子では無いが、悪い子でも無いという状態は

非常に宙ぶらりんであり、不安定極まりない。

ちょっとした間違いで、良い子のレッテルを貼られてしまうのである。

それではいけない。

体制側には断固としてレジスタンスである。

そうして、行動は段々とエスカレートしていくのだけど

いつしか、それは身だしなみにも現れるのである。

何故か?

先輩の影響である。

彼はレジスタンス活動を続けるうちに、態度が悪い生意気だという理由で

先輩に呼び出しを食らっていたのである。

しかし、その時点ではまだ不良初心者。膝も笑っている

内心ガクブルで向かった上級生の教室であったが、

そこには偶然、従兄弟もいて

こいつ俺の従兄弟なんすよ、勘弁してやってよという助け舟で

彼はいわゆる不良グループの下っぱになってしまうのである。

こうしたコミュニティに属する時に、まず何をするか?

当然身だしなみからになるだろう。

ズボンは出来るだけ下げる

学ランは出来るだけ短くか、出来るだけ長く

これも、良い子ではないよ という意思表示に過ぎない。

あるラインを超えなければ、悪にはならないのだから

ズボンも普通くらいの位置より下げるのである。

しかし、普通って何?という疑問は彼らにもあって

普通より下げたつもりが、自分の普通が結構上にあって

下げたつもりが普通だったという状態いわゆる

お前のズボン、オンザラインだよ状態

これを避ける為に、彼らは過剰に下げるのである。

もっともっと、限界はどこだ? 明日はどっちだ?

魂の叫びである。

彼らはいつしか普通というラインに乗る事を恐れていく。

学ランが長短の派閥に分かれるのは、

普通じゃなきゃどっちでもいい そういう事である。

では、ズボンを限界以上に上げるという選択肢は無かったのか?という疑問があるだろう。

これには深い理由があって、

不良はよく出世魚に例えられる事があるが、

不良は、暴走族やくざへと出世していく。

もしくは、

野球部結婚消防団

やくざも消防団右翼的思想が根源にあるので、

そこには、アイラブ日本という気持ちが不可欠だ。

そう、ズボンを下げ裾を引きずる事は

トラディショナルジャパンに通ずるものがあるんである。

問題はここにあるんだね。

普通を忌避する為に過剰になっていき、

しかしその行き着いた先が伝統的なものであったというこの恐怖

ここは地球だったんだあ!という叫び。

しばらく、不良文化は続いていくでしょう。