通と呼ばれる為の2、3の理論

そばつゆにそばをちょこっと付けてすする。

ラーメンを食べる時は、まずスープから。

ビートルズならホワイトアルバム

人に通と思われたい。

そういう願望、分かります。

それは、自分とは個人であって世間では無いという抵抗であり

通である、通でいたいというのはレジスタンス運動であると言っても良いでしょう。

世間は、バカ無知でどうしようもありませんから

自分は世間のバカとは違うぞと、

それを行動の選択によって世に表現しまっせと

通の行動、思考、選択はその様に行われます。

通だと思われたいと思う背景には、

実際は通では無いという劣等感があります。

実際に通であるならば、それを殊更通であると声高に表明するのは、原理主義に反するからです。

しかし、現実問題 物事に通ずるのにも限界があります。

あの髪型になるならば、通じゃなくていいや 

そういう声もあるでしょう。

しかし、現在のこの相対主義的価値観の上では

誰もがちょっとした工夫で通を装う事が可能なのです。

例えば、野球で好きな球団は?と聞かれたとします。

一般的、世間的な答えは

当然 巨人 となる訳ですから、それ以外を答えれば良い訳ですが

では、阪神 と答えた場合、通だねぇと人から思われるか?というとそうではありません。

関西の人?

と普通は思います。

ある人は、即座に道頓堀ダイブを連想し

ついでカーネルサンダースを連想します。

これではいけません。

好戦的な人物、もしくは関西弁原理主義の人だと思われてしまってます。

その場合、阪神と答えた後にすぐ

自分関西出身じゃないけどね!と即座に補足してみましょう。

そうすると相手は、

関西出身じゃないのに、阪神が好きなんて

通だ!! となる訳です。

常にストレートを避ける意識で、

決め球はフォーク。

そう意識すると、思いのほか人は尊敬してくれるはずです。

通だと思われる為には、

全てを知ってるけど、

あ・え・て それを選択してるんだぜ感が必須であり、肝です。

定番とか、流行人気そういうものには

唾を吐きかけて、NO FUTURE

その気持ちこそが通の心意気でもあるんです。

しかし、しかしです

現在 石橋貴明に見られるトラディショナル原理主義の台頭により

物事の本質を問い直す活動が顕著になってきました。

そこでは、《あえて》というのは敵視され

《やっぱり》というスローガンの元にシュプレヒコールが行われます。

いろいろ試したけど、やっぱり巨人が最高だ!

これには、

あえて阪神を選んだ時代もあったが、

時を経て分かる良さもある。

君たち若い人には分からないだろう そういった上から目線があり

少々鼻につきますが、ここに一筋の光を見出す事が可能です。

通を装うには、《やっぱり》という言葉を掲げる事が最善なのではないか?

そういった石橋の心の声が聞こえてきませんか?

《やっぱり》には、一度譲歩した痕跡があります。

うんこを食うなんて信じられない! そう言うと差別的ですが

やっぱりうんこは食わない方がよかった! そう言われた時のこの

説得力安定感

ああ、うんこって食わない方がいいんだなと

ストレートに心に響きます。染み渡ります。

なので、通と思われたい場合

《あえて》何かを選択する場合は、即座に補足が必要な場合がありますが

《やっぱり》を使うと、概ね相手は通だなと誤解してくれる可能性があります。