きっと、きっと、うまくいく

ここ最近2ちゃんで良く見かける言葉に、

自信が持てない っつうのがあって曰く

成功経験や挑戦した経験、やり遂げた経験そういった体験を経て人は自信を獲得するがしかし、

その何かをする自信が無い、なんてな言葉を耳にする。

根拠の無い自信はどこから来るのか?

自信の持てない人には不思議でしょうがないだろう。

例えば、スラムダンク桜木花道なんてのは

典型的の無根拠な自信の様に見える。

しかしちゃんと読むと、春子さんというファクターがあって

初めて桜木は、自分にもバスケは出来るのかな?と思い、

褒められ、おだてられた挙句、照れ隠しで「天才」ですからと言っているに過ぎない。


私の場合は、これとはまた違って

私は天才である と、親が子供に勉強しなさいと言うのと同様口を酸っぱくして言ってきた。

がしかし、私の場合はなんとなく

自分にならギターなぞ簡単に弾けるであろう という根拠の無い自信があったというか

母親がFコードで挫折した なんてな事を言っていたので、

反抗期だった私は、ははん そらおかんに才能がないからだよなんてな黒い事を考えながら

母が押し入れで腐らせていたギターに弦を張って

バンドやろうぜを見ながら、誰もが最初に挫折すると言われる高い壁

Fコードに挑戦してみたのである。

勿論、最初の10分程は音が出るなんてレベルでは無く

ただただ形をトレースしているだけであったが、

20分もしたら段々とコツが掴めてきて、

30分もギターを触っていたら、非常に状態の悪いギターではあったが

力ずくで音を出す事に成功しはじめて、

それが段々と楽しいものに感じられ、その形を指に覚えさせる為に

一旦ギターを手から離し、しゅっといきなりFコードを押さえてみる等

独自のトレーニングを開始。

2時間も経った頃には、普通にFのコードは弾けるようになっていたのである。

天才

私は、この時自分をそう思ったのである。

ギターを初めて一日でFコードを抑えた男

それが私である。そして、後は野となれ山となれ

中学生でジャコ・パストリアスを弾く男、

中学生でジャムセッションをする男、

アメリカでベースを買って帰ってきた男、

そういった様々な称号を獲得する為に私は日夜練習し

出来ないものには、何故出来ないのかを徹底して考え

一日8時間ベースを練習する事を自分に課していたのであって、

今考えると完全に修行僧であるが

今でも、私のベースのテクニックが一番あったのは中学時代だと思う位に

私はベースをぶんぶん言わせていた。

一人部屋で。


しかし、今考えて見ると

誰でも2時間もFコードだけをみっちりやったら

そら弾けるようになるのが当然であって、

そんなもんが出来たからといって、天才なんてもんには程遠い。

けれども、

その最初のFコードを弾ける様になるまでの2時間。

その2時間を苦痛に思うか、楽しいと思うかが才能の有る無しを決定付けると言っても過言ではなく

私にとっては、音楽におけるあらゆるものは楽しいものであった。


現在私は一人、弟子と言える様な存在を抱えている。

どうなりたいか? というビジョンを明確に持つ事から人の成長は始まるとの考えから

私は彼にどうなりたいのか?と問うたところ、

一日遅れで彼は今日、私を驚かせたいと言ってきた。

愛い奴である。

そこで私は去年聴いた音楽で一度だけ驚いた音楽はあるが、

それはダフト・パンク「ゲット・ラッキー」であり、

それは今年のグラミー賞を取った作品であるという事を伝えると、

ハードルが高すぎると言って彼は青い顔をしていたが

最近は彼に宿題を出す事もしているので彼が成長するのが楽しみである。

きっとうまくいく。