決戦 麦芽玄米

1991年 夏

僕はロンドンにいた。たまに暗殺をしたりしながら平和な生活だった。

海に行くとクラーケンがコラーゲンを取れと言っては押してくるし、

テレビをつければもっとサービス向上委員会が目に入ってむかつくし、

吹越満が満たされていない事、幕藩体制の崩壊、マニファクチュアの台頭と

悩みは尽きず、

その頃、はっけよい のこった のこったと囃し立てる際つまり、

のこっ たのこっ たのこっ という具合に、語尾を次の語頭に繋げつつ

最終的に、たらこスパぁっ とキメるのがカッコイイと思っていて

美術手帖においても特集が組まれて曰く

和風スパゲッティとの事。


そんなある日、また目薬を無くしていて

向かいのホーム、路地裏の窓と探し

しょうが無いので、バストアップしながら

法螺貝が金管楽器なのか木管楽器なのか分からぬままに

とりあえずブラスセクションとして配置した。

法螺貝は、最初は室内楽に不満気の様子だったけれど

どうやら普通の水よりも、米のとぎ汁が良いらしく

一応縦笛として今後は頑張ると誓ってくれた。

フリーランスの貝の誕生である。

今宵は宴だ

そんな雰囲気を敏感に察知したのは後のバスコ・ダ・ガマ

絶好調である。

しかし、日が沈まぬ内は何も食えないってのがラマダンの辛い所ね と

悪魔が僕に囁き、瞬く間に辺りは一面火の海に包まれた。

メロスは激怒した。

僕も激怒した。

試合は三日後。

対戦相手は麦芽玄米だ。


1991年 夏


こうして世界は闇に包まれた。