将棋の深さについて

前回書いた船江恒平VSツツカナ(CPU)戦で改めて将棋の深さを認識した。

既にコンピュータは名人を超えているとまで言われていた中、結局負ける訳だけど問題はその内容である。

詰将棋というものがある。

必ず勝てる状況がまず用意され、持っている駒を全部使って何手かかけて相手の玉を詰ますというものだけど

普通の将棋において仮に100手で相手が投了したとしても、それが100手詰みの詰め将棋と違うのは

相手の勝つ道筋を封じる事と自分が勝つ道筋を探る事が常に同時に、かつ別の次元で成立し続けるのが将棋だからで

例えば、

自分はあと2手進めば、30手詰みの状況になる という場面であっても、

相手はあと1手進めば、28手詰みの状況になる という事が成立しうる訳で

こんな場合は、まず相手の狙いを潰す必要が出てくる訳で

そうして相手の狙いを潰すうちに状況は全く変わり、また勝負の行方は変わってくるのである。


船江恒平戦で興味深かったのは、勝てた場面があったという事だ。

これは序盤の駒組みが下手だと言われているコンピュータに文字通り序盤の駒組みで勝っていたという事で

将棋というのは相手に勝てるように最初に駒を組むゲームなんだなあと改めて思った次第だ。


またコンピュータの根源的な強さでいうと、

あいつらは後半の勝負がかかった場面ではほとんど絶対にミスをしない上に

自分がやばいとなったらいくらでも勝負を引き伸ばしにかかってくるのが非常に厄介で

大げさに言うなら200手先に勝ちがあるのなら、平気で200手先の勝ちを狙いにくる訳で

人間の場合であれば終盤で追加200手というのは残業8時間確定みたいなもんで疲れるがなという理由で却下されるだろうし

当然興行でやっているものなので終電も気にするし収録時間、スタッフの残業代、場所のレンタル延長代と

勝負とは関係無い部分で考えるべき事が出てくるのである。

勿論、持ち時間が無くなれば 1分将棋になるので少し勝ってるくらいの状況であれば

先に必ずミスをする人間の負けが濃厚になってくる。


この先もコンピュータは人間の考えを模倣してくる。

人間の大局観や感覚が非常に優れているのは自明だ。

しかしこの先は、棋士の方がコンピュータの切れないスタミナ、勝利への執着、計算の速さを模倣していく術しか残されていない。

そしてこの戦いはあまりにも分が悪い。

それでも将棋の面白さは変わらないだろう。

ミスをするのが人間だもの

みつを