良い音楽悪い音楽

昔から音楽をたくさん聴いてきた勤勉な方々は、

今の音楽は詰まらないとそう言うかもしれない。

かくいう私も、今の音楽はうんこで、しかも悪いうんこだと思っている。

では何故そう思うか?ないしそう感じるのか?を考えてみる。

一つに思い出補正というものが挙げられるだろう。

昔は良かったなんていう手垢に塗れた言葉がある通り、大体の人は昔の方が良かったと思うものだと

ソクラテス辺りの哲学者が言っていたし

まあそんなもんなんだろうさ。

しかし、私が感じるのはもっと別の疑問で

ロックだパンクだに心をわくわくさせていた自分は確実にいて

それは間違いなく10代という若さでの体験であった訳で、

月日が経つのと同じくして、段々と聴く音楽の趣向も変わってきたというのも確かな話なのである。

実は今の音楽が駄目なのじゃくて、

歳をとった我々に適した音楽が無いだけじゃないのか?

そう思うのである。

レンタル屋で働いていて本当にそう思うのである。

30代の人が、AKBを借りていったり

40代の人が、福山を借りていったり

それはもう本当にそんなのばっかりで。

50代を超えて漸く演歌とかJAZZとかを借りていくような傾向である。

好きなものを聞いて何が悪いんだ!?

そういう意見もあるだろう。

しかし、歳相応という考えもあるのではないか?

小学生の頃ドキドキしながら読んだ宗田理

果たして、三島由紀夫ドストエフスキーだを読んだ今でも楽しめるのか?

否。

それは流石に無理なのである。

何故か?

それはもう知っているから。

もう我々はいろいろな冒険をしてしまった後なのである。

では、我々が楽しめるものは残されていないのか?

それもNOである。

経験を重ねたからこそ分かるものというのは必ずある。

そして、それは

音楽業界に圧倒的に不足しているのだ。

エルビスに夢中になり、ビートルズに驚き、セックスピストルズに全てを無茶苦茶にされたとしても

スティーリー・ダンに感動出来るのである。

今足りないのは、成熟した音楽。言葉。

それを担うのは、

荒井由実でも山下達郎でもキリンジでもなく

未来の我々であらねばなるまいよ